兵庫県西宮市剣谷町

1963年04月3〜5日


日本の海岸、湖に戻る
日本の海岸、湖』 中学生時代にキャンプ、飯盒炊爨の遊び場だった ”ガミヤ池”の痕跡を辿る。
ガミヤ池キャンプ場 (にしのみやデジタルアーカイブのHPから)
 
ガミヤ池には貸しボートに貸しテント、貸しコンロがあり、家族連れやグループが思い思いに自然を満喫していました。 写真には池畔に設営されたテント、ボートや水遊びの人々が写っています。 「ガミヤ池」の名は本来の名称である「宮ヶ谷池」が変化したものと考えられます。 昭和36年に市教育委員会が池周辺の国有林に教育キャンプ場を整備し、小中学校や青少年団体に限って開放されるようになりました。 しかし、昭和39年には国有林が民間企業に払い下げられたため、ガミヤ池の教育キャンプ場はわずか3年で閉鎖され、昭和40年に市の甲山開発計画により新たに甲山教育キャンプ場が開設されました。現在、ガミヤ池周辺は住宅街として開発され、大きく風景が変わっています。
思い出深いガミヤ池
  中学1年生の時に1人でテントを担いでキャンプに行った事を皮切りに、中学2年生
の時には、柔道部同期生と2泊3日のキャンプに行った様な不確実な記録が残っている。
  その後も中学生のクラスメートと飯盒炊爨に何度か行った写真が残っていたが、記録が残っておらず、詳細は判らなくなってしまっている。
 成人してからは西宮市を離れたので、何度か ”ガミヤ池”を探しに行ったが、その頃には大規模な住宅開発が行われ ”ガミヤ池”は無くなっていた。
ガミヤ池キャンプ場
  思い出が多い ”ガミヤ池”を何度か探しに行ったが、記憶のある地域は新興住宅地に変わってしまい、
”ガミヤ池”の面影は見付からなかった。 ネット検索でも何度か探してみたが、まとまった資料として
は何も無かった。 ところが、最近、改めてネット検索してみると、西宮市役所のHPに思い出深い
”ガミヤ池”の写真が掲載されいることが判った。 昔の ”ガミヤ池”の写真を見て、忘れかけていた
”ガミヤ池”周辺の景色を思い出して来た。
Road Map :西宮市街から県道82号線を剱谷町まで北上する。 現在は現存していない。
Route Map:当時は登山道を歩いてキャンプ場に入った記憶がある。

当時、キャンプしていた ”ガミヤ池”の航空写真。 (1963年 中学2年生13歳)
新興住宅地としての開発が終わった ”ガミヤ池跡”周辺の最近の航空写真。
1回目のガミヤ池キャンプ
  1962年(昭和37年)、中学1年生の夏休みに ”ガミヤ池”に一人でキャンプに行ったのは
覚えているが、写真も記録も無く詳細が判らない。 台風が来る日にキャンプしており、
テントの中に雨水が流れ込み、一晩中、眠れなかったのを記憶している。
2回目のガミヤ池キャンプ
  1963年(昭和38年)、中学2年生の4月に柔道部同期生とその他一人とで ”ガミヤ池”に
キャンプに行っているが、雑な写真以外の記録が無く、このキャンプも詳細が何も判らない。
白黒写真をパソコンで
カラー化した ”ガミヤ池”
(昭和38年、中学2年生)
1人を除いて全員、浜脇中学柔道部の同期生。 まだ全員白帯である。
何故か焚火をして靴を乾かしている。
焚火風景には飯を作っている写真は残って
おらずに靴を乾かしている写真だけだった。
まだまだ、白黒写真の時代であり、中学生には
高価なカラーフィイルムは買えなかった。
フェイスブックにて ”ガミヤ池”の資料、写真を募集した所、
なんと、元会社の若い子から ”ガミヤ池”の写真が送られて来た。
この写真を見て何かを思い出す訳ではないが58年前の貴重な写真、有難う御座います。